指導する側の成長

LIFE

こんにちは航です。

フリーランスとして、幼児スポーツ指導員として働いたり、セパタクロー選手として活動しております。

本日は、私の本職である指導員として活動していて感じたことを書いていきます。

人が人に指導やアドバイスをすることはよくあると思います。

指導される方が成長するのは、想像しやすいですよね。

しかし私は、指導する方も大きく成長していると感じています。

目次

  • 幼児スポーツ指導員として
  • セパタクローの先輩として
  • 二つに共通していること

幼児スポーツ指導員として

私は、未就学児をメインに運動指導をしております。

主に保育園に体育の先生としての活動や、体操教室での活動をしています。

子供に指導しながら、これは自分の成長にもつながっているなと感じることがあります。

  • 先生という存在自体
  • 目の前のことに取り組む姿勢

先生という存在自体

先生とは、「お手本であり、常にかっこいい存在でなくてはならない」と思っています。

かっこ悪い先生、身だしなみが汚い先生などに教えてもらいたくないですよね。

だからこそ、人としての成長を怠ってはいけない。

笑顔で爽やかな、見ていて気持ちいいくらいでなくてはなりません。

常に先生として理想を求めて成長していかないといけないなと感じます。

それが人間としての成長にも必ず繋がります。

目の前のことに取り組む姿勢

子供に対してのレッスン中に、「諦めない」「やる前からできないと言わない」「最後まで全力でやる」などと伝える場面がよくあります。

これらは、先生としては当たり前の声かけだと思います。

しかし、偉そうに言ってるだけで自分もできていないことも多いです。

難しそうなことをすぐにできないと判断すること、妥協してしまうこと、大人でもたくさんあります。

私は、子供に対して言っているようで、自分にも言い聞かせています。

セパタクローの先輩として

セパタクローは、いつもの練習に指導者がいるわけでもありません。

そのため、学生では先輩が後輩に指導する場面がよく見られます。

後輩に技術指導するときも自分の成長にも大きく繋がります。

  • 分析する力
  • 言語化する力

分析する力

まずは、後輩のプレーを見て何が原因で失敗しているのかを見抜く必要があります。

さらにそこからどうすれば成功につながるかも考えなくてはなりません。

教えるためには、この分析が必ず必要になります。

自分のスキルアップにしても、失敗の原因追求と打開策を見つけることは、必須です。

自分のプレーは客観視することが難しく、とても難しいことです。

それに比べ、人のプレーは客観視できているため、原因が見つけやすかったりします。

人のプレーを分析できない人は、自分のプレーも試行錯誤することができません。

よって後輩に教えることは、自分の成長にも必ず繋がります。

言語化する力

教えるときに、言葉にして理解させなくてはいけません。

プレーのほとんどは感覚で行っています。

しかし感覚をそのまま人に伝えることは絶対にできません。

そのため自分なりの言葉に表す必要があります。

感覚を言葉に表せることは、自分で理解することでもあります。

これはスポーツに限った話ではなくて、勉強でもよく見られることです。

勉強も理解していないと伝えられないし、わかりやすく教えようとします。

その行動自体が自分のためになっていて、勉強教えてもらう人以上に成長しています。

二つに共通していること

それは、「自分に教えていること」です。

人に教えるときには、自分の中の「先生」というもう一人が出てくるイメージです。

その先生が「自分」にも教えています。

「先生」は、正解(自分なりの)を知っていて、自分の理想となるものです。

「生徒」に教えているのは自分の中の「先生」であり、「自分」と「生徒」が別にいます。

だから自分ができていなくても、良いんです。理解できていれば「先生」が教えてくれます。

「先生」は、たくさんの物事を理解していて、自ら失敗して改善して、分析する力があって、言語化する力があった方がいいわけです。

その力を身につけるためには、人に指導することを増やす必要があります。

人に教えることは必ず自分の成長になります。

私もこれを理解し、言語化し、書くことで、成長しようとしているわけです。

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